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これには蘇生させるための意味と、死後の霊魂を浄化するための意味があるようです。
今は死の直後に手向ける水を末期の水と言っています。死の直前に手向ける場合でも、蘇生させるためというより死の間際には何も飲み込む力もなく、喉が渇くにちがいないので少しでも楽に死なせてあげようとしたのでしょう。 仏教的な説明では霊魂の心地は乾くので水を供養することにより菩提の芽を生じさせる助けとなるというとき方があります。お墓に水を手向けるのもそういう意味です。
ご飯に箸を立てるだけでなく、逆さ屏風や着物を左前にきせたりと普通では考えられないことをします。つまりあまりに異常な事態だということで、気が動転してしまってそんなことをしてるのに気が付かないということです。 死は普通のことではないという悲しみを葬送の習俗として表現したものだといえます。
お釈迦さまが涅槃(死に至る事)に入られるとき頭を北に向けられたお姿になぞらえて、頭を北にするといわれています。
ではなぜ北に頭を向けられたかについてですが、阿含経によれば、仏教はインドの北部で盛んになってゆくだろうと予言されたことです。
住宅の事情により北向きに出来ない場合や仏壇のある部屋に安置するときは仏壇の扉を開けて方位にとらわれず仏壇の前に安置すればよいでしょう。
日本には「先勝・友引・先負・仏滅・大安・赤口」の六曜があり、「友引」はその中の一つです。
「友引」は元は勝負ごとにおいて「ともに引き分け」の日とされていたのが、「友を引く。つまり災いが友に及ぶ」という意味に変わってきたようです。それが友引にお葬式をすると、誰かに災いが及ぶと受け取られるようになったわけです。
ですから仏教に由来するものではなく、語呂からきた迷信にすぎません。しかし現在、友引の日は火葬場が休みになっているためお葬式をあげることが出来なくなっています。
自らの死後の成仏を願って、あらかじめ仏事を修するということです。
生きている間に戒名をつけてもらうと清浄な身に生まれ変わると信じられ、その後は息災と長命を得られるという意味があります。
戒名とは、仏縁を結ぶために戒(いまし)めを授け、それを守りますと誓いをたてた名前のことです。戒めは仏教徒として不殺生(ふせっしょう)殺さない・不中盗(ふちゅうとう)盗まない、不邪淫(ふじゃいん)淫欲をもたない、不妄語(ふもうご)うそをつかない、不綺語(ふきご)綺麗ごとをいわない・不悪口(ふあっく)悪口をいわない・不両舌(ふりょうぜつ)二枚舌をしない・不慳貪(ふけんどん)・不瞋恚(ふしんに)・不邪見(ふじゃけん)という10の戒律を守っていくことです。
現在、残念なことに戒名は亡くなってから授かるものと思っている方が多いようです。確かに葬儀の時に僧侶がその方に戒名を授けるケースが多く見られますが、それはあくまで生前に仏縁を結ばなかった人は成仏の縁も得られない為、緊急の処置になるのです。
葬儀の引導作法は、迷いを転じて悟りを開かせることを本旨とするものですが、引導の前にあらかじめ戒を授け、戒名を与えるというのは大切なことで、まず菩提心(悟りをひらこうとする心)をおこすことが大事だとかんがえるのです。
戒名はお寺さんが家族の方に心より喜んでいただくため、いろいろな思いをふまえて授けるものです。宗派によっては戒名が異なりますが、思いは同じです。その為、戒名には不快感のある言葉などをつけないよう心がけております。よって一度授けた戒名をかえるということは大変なことです。
しかし、宗派の改宗や住職の指導などで戒名をかえられた例もたびたびあります。いずれにしても心に引っかかりがあればそれを和らげるのは自身の判断です。
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