水子供養は大阪の常光円満寺へ

大阪水子供養寺。温もりある水子供養で有名。水子供養料も金5000円からで安心。 厄除け・安産祈願・合宿も常光円満寺へ

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■常光円満寺の由来・歴史





常光円満寺 ■御本尊 聖観世音菩薩(観音さま)
■開 祖 行基菩薩

常光円満寺は735年、行基という僧によって開山された由緒あるお寺です。最盛期は数万坪という広大な寺領荘園をもち足利将軍や名将吹田氏が自らの菩提寺として深く信仰されていたとのことですが、応仁の乱の兵火によって全焼。寺領荘園の全てを失ってしまうのです。(常光円満寺文書)

行基(ぎょうき)菩薩の布教道場

 天平7年(735)僧、行基は民衆救済の為に、諸国を巡っていました。ある日夢の中で、「吹田に聖なる香木がある」というお告げを聞き、吹田へ来てみると、夢のお告げどおりに一本の香木が浜辺に打ち上げられていたのです。その頃の吹田は白砂青松(はくしゃせいしょう)の海岸だったのです。

 行基はその香木で聖観音菩薩像を彫刻し、その場所を聖地としてお堂を建て、香木の聖観音菩薩像をご本尊としてまつられました。布教道場となったこのお堂は浜辺に建てられたので、人々は「浜の堂」とよび、行基菩薩の話を聞くため「集まる者つねに千人を越す」(常光円満寺文書)と言われ、人々は智慧を授かる為に日夜光明(こうみょう)が絶えなかったので、いつか誰言う事なく、山号は「慧日山」となり、「常に光明を放つ寺=常光寺」とよばれるようになりました。

 その後、隣村の吉志部(現在の岸部)にあった圓満井流の猿楽(能楽)発祥の地である円満院を合併して、寺名を「常光円満寺」と改め、ますます近郷近在の信仰を集めたのです。


足利将軍と吹田氏の菩提寺として

 かつては七堂伽藍(がらん)が甍(いらか)をならべ、塔頭(たっちゅう)僧坊十三を数え数万坪という広大な寺領荘園を領有していた荘厳偉容は四隣を圧するほど…と伝えられています。応安二年(1369)足利三代将軍義満は、御本尊・聖観音菩薩に深く帰依され「石垣の修繕料をすべて寄進」(常光円満寺文書)し、祈願所として自らの武運長久を祈られたのです。以来、足利将軍の菩提寺として足利尊氏以下歴代の祖先の位牌をまつり、回向(えこう)をつとめられました。一方、名将吹田氏も「亡母の供養の為、多くの土地を寄進」(常光円満寺文書)され菩提寺として深く信仰されました。

 このように足利将軍や吹田氏が祈願や菩提所を求めているのは自己勢力結集目的以外に祖先の追善供養や乱世を乗り切るために安心立命の加護を常光円満寺に求められていたことがよくわかります。

 その後の常光円満寺は十年戦争であった応仁の乱(1467)で陣僧(僧侶の兵隊)をもって防戦につとめたのですが兵火によって全焼され寺領荘園のすべてを失ってしまうのです。
しかし二百年後の寛文十一年(1671)教範和尚によって再建。さらに二十年余りの月日をかけ昭和五十六年(1981)には老朽化した本堂が建てかえられ、境内は整理され、面目を一新する事ができたのです。

 器にあらざる身のこの悲願の達成こそが、行基菩薩さまの意志が常光円満寺の全てに脈々として、1250年以上、生き続けているものと確信できるのです。



常光円満寺のわかりやすい歴史と思い


常光円満寺の宗旨

 常光円満寺は高野山の金剛峰寺を総本山とする高野山真言宗でございます。真言密教とも呼ばれます。

 真言密教は弘法大師:空海(お大師さま)を宗祖とする三国伝来(インド・中国・日本)のたいへん伝統ある宗派であります。

常光円満寺の歴史

 常光円満寺は西暦735年に行基菩薩さまによって開山され、1280年以上の歴史を持つお寺でございます。
 古文書によると当時は数万坪という広大な寺領荘園をもち、足利将軍の菩提寺としても深く信仰されていたそうでございました。ところが、応仁の乱の兵火によって全焼されてしまい、寺領荘園の全てを失う結果となるのでございます。ただ、ご本尊さまを無事に戦乱の炎から守ることが出来たのが救いでございました。常光円満寺復旧への兆しの種がここに残されたのです。

 行基菩薩さまの衆生済度(一人一人の幸せを願う)の御誓願のもと、復旧に立ち上がったのが教範上人でございました。その後、300年かけて、常光円満寺というすばらしい寺名に恥じないよう日々、悩める方と共に苦しみ、共に哀しみ幸せへの道しるべを築いてまいりました。
その結果、戦乱で荒れ果て、廃墟と化した小さな小さなお寺が、少しずつですが活気を取り戻してまいるのでございます。


常光円満寺の使命

 常光円満寺は悩める人々の救済を祈るお寺でございます。その名のとおり、いつまでも光あふれる円満なご家庭であることを願うお寺でございます。
 生きていく中では苦しみや哀しみはつきものでございます。皆様方の苦しみや哀しみは常光円満寺の哀しみでもございます。
 その苦しみや哀しみから一筋の光を見出させるのは常光円満寺の使命でございます。



縁起


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